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聖ヨハネ・クリゾストモ「祈りにはただ奉献して神聖にされた魂だけを必要とする」

あなたは他の人が裕福な暮らしをしているのが見えますか? あなたはうらやんではいけません。なぜならこの場合、貧しさは〔徳への〕障害となっていないからです。さらに祈りが必要なとき、冷静で目覚めた心で祈りなさい。そのときは障害となるものは何もないでしょう。

柔和、あらゆる寛容、節制、謹厳を表明しなさい。なぜならこれらは、外部からの諸々の助けを、少しも必要としないからです。そしてとりわけこの祈りは、徳の最大のものです。なぜならこの祈りには富も力も名声も、その他この種のなんらかを必要とせず、ただ奉献して神聖にされた魂だけを必要として、それ以上には何も要求していないからです。

同じことが恵みにもあてはまることを見てください。なぜなら足の不自由な人がいようと、目をえぐり出されていようと、身体が不自由であろうと、致命的な病気になっていようと、恵みが入るのにそれらはなんの障害にもならないからです。なぜなら恵みは、熱意をもって恵みを受け入れる魂だけを求めているからです。そして恵みは外的なすべての状況を走り抜けていきます。

聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士 (347頃 – 407)
387年のカテケシスより

聖ヨハネ・クリゾストモは、その大雄弁のために7世紀以来「金口きんこう」(Χρυσόστομος, Chrysostomus)と呼ばれているようです(1)。カテケシス(洗礼志願者のための要理講話教育)での厳しくともぐいぐいと聞かせる説教に惹かれます。

聖ヨハネ・クリゾストモの著作は日本語訳が非常に少ないので、もっと翻訳されて欲しいです。


 ● 引用書籍
家入敏光訳『洗礼志願者のためのカテケシス』サンパウロ、2002年、p.31

● 参考文献
(1)  上智大学編『カトリック大辞典 Ⅱ』冨山房、1942年、p.63