かつて発行されていた『世紀』という雑誌に、日本における信仰の「土着化」について考察するにあたって、大変興味深い記事が掲載されていました。「宣教再開100周年」であった1962年(昭和37年)当時の記事2本を2回に分けて紹介いたします。
かつて岩下師が「カトリシズムの日本化は日本人がカトリックになったとき自然に行なわれるのであって、外から無理に聖堂を神社スタイルにすることではない」といわれたが、布教の根本的な在り方は、その国民の霊魂の中に超自然的種子をまき、その国土に根をおろすことである。そうするならば彼等のもっている文化の中に自然にカトリシズムが溶け込み、パン種のように除々にそれをキリスト教化するものである。
『世紀』一月号 (昭和37年(1962年)1月1日発行、中央出版社)、 p.11
「日本カトリックの歩みと展望 ー宣教再開百年記念に際してー」 伊藤庄治郎神父様(1962年4月より新潟教区司教)
岩下壮一神父様のお言葉を、支持する文脈で伊藤庄次郎神父様(当時)が紹介されています。
この「外から無理に」というお言葉が、第二バチカン公会議後の日本の教会の手口を説明するものとなっていて、嘆かわしく思います。(ついでにいうと、師が著作で反駁していたプロテスタントの思想が、今の進歩主義司祭達の思想と酷似しているということも嘆かわしい…。)
上記の転載箇所の前後の文章をお読みになりたい場合は、こちら「日本カトリックの歩みと展望 ー宣教再開百年記念に際してー」をご覧ください。pp.10-13(第四章)の文章を掲載しております。