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日本205福者殉教者の記念日 (9月10日)

日本205福者殉教者

本日9月10日は、日本205福者殉教者の記念日です。

1617年から1632年の間に殉教された方々のうち、一番大きなグループが長崎で1622年9月10日に殉教されたので、共通の祝い日が9月10日に決められたとのことです。(1)

長崎の二十六聖人を知らない人は少ないけれども、今日記念される人びとが、日本の無数の殉教の先駆者であり、代表者であることを知らない人は、案外に多いようです。

[…]

教会は、これら幾多の殉教者たちの代表に、特別に江戸時代初期の205人を選んで、福者として崇めています。

その内訳は、日本人が152人、ヨーロッパ人が47人、韓国人が7人、インド人とメキシコ人が各1人で、女性が14人(そのうち5人は、夫婦が一緒でした)、少なくとも6人は子どもというように国籍や年齢だけでなく、場所も長崎から仙台までと、さまざまです。

修道会も、イエズス会にフランシスコ会、ドミニコ会にアウグスチノ会、それに教区司祭と、さまざまでした。
信者も、幕府の有力者であった原主水もんどをはじめ士農工商のあらゆる階層にわたり、その中には、死刑を覚悟で、神父や同塾と呼ばれていたカテキスタを自分の家にかくまった者が多くいました。

処刑の方法もさまざまで、打ち首、はりつけ、火あぶり、それに苦痛を極めた穴吊しと雲仙の熱湯処刑がありました。この非人道的な迫害と処刑に際して、非常に顕著なのは、殉教者たちの超自然的な勇気と愛、迫害する者への許しであります。

 『ミサの前に読む聖人伝』(pp.272-273)(2)

池田敏雄神父様による『教会の聖人たち』(3)によると、205福者殉教者のうちイエズス会レオナルド木村神様父について、牢獄のなかで念祷、祈り(声祷)、霊的読書、断食、むち打ちの苦行、キリストの5つの傷を黙想しながらの5時間の祈りをされていたと紹介されています。

このような牢獄生活の中で、彼は極めて快活で、喜びに満たされていた。それは肉体の苦しみの中で神と共にいて、キリストの苦難に倣うことの尊さを知っていたので、快活明朗な表情と動作を保ち、人々を慰めていた。キリシタン囚人に限らず、非キリシタンの囚人たちもレオナルド神父によって慰められた。レオナルドは囚人たちにキリスト教の神秘を説き、新入牢者を親切に扱った。

 『全面改訂版 教会の聖人たち (下巻)』(p.296)

現在、御聖体拝領のときの跪きなどのために、教会のなかで迫害にあっている信徒たちがいます。日本205福者殉教者のエピソードを参考にさせていただくと、

① 迫害者たちを許すこと
② 聖なる生活を送り、快活明朗でいること
③ 人々を慰めること

がこのような状況のなかで教会生活を送る上のポイントになるのではないかと思いました。自戒の念を込めて。

(ただ忍耐せよ、正当な批判もするなと言っているのではないです。念のために。)

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出典

(1) デルコル神父編『週日ミサの友 第2巻』世のひかり社、1988年、p.1263

(2) キリストバル・バリョヌェボ『ミサの前に読む聖人伝』改定初版、サン パウロ、2013年、pp.272-273

(3) 池田敏雄編『全面改訂版 教会の聖人たち (下巻)』サン パウロ、2017年、p.296

※ 引用文中の漢数字はアラビア数字に変更させていただきました。