典礼とは跪いて学ぶ神学である。
ベネディクト会員 ガスパル・ルフェーヴル
これは、1949年(昭和24年)に出版された『カトリック典礼入門』(1)という書籍の冒頭に掲げられている金言です(ルビも原文ママ)。
ベネディクト会司祭のヒルデブランド神父様(2)が記した同書の「典礼上の動作」という節において、「跪き」は以下の通りに解説されています(3)。
跪坐
信者は右膝をついてする跪拝から一度立上って後、更に又(両膝)跪いたままでいる。これが跪坐である。これは弱小な人間が、何か希願する者として神に祈る際にとる姿勢である。この姿勢の象徴的意義は、特に日本ではよく知られている。信者が悔悛の秘跡をうけるために罪を告白するとき、ミサ聖祭の際、又司祭も聖体の前や希願の際に、この姿勢をとるのである。
※ 本文中の強調は当サイト管理人による
ヒルデブランド神父様は、自伝によると戦前は典礼運動に熱心であり、ご自身が出版していた典礼に関するパンフレット(4)においても「ヨーロッパ風の典礼がもはや極東や日本には適合しなくなってきているのではないか」との問題提起をしていたようです。それでも、跪きについては「日本文化にはない」どころか「日本ではよく知られている象徴的意義」として捉えていらっしゃったのです。(正座文化がある日本だからこそ、「よく知られている」と仰っていたのではないかと思う。)
上野毛教会敷地にて
「典礼とは跪いて学ぶ神学である」の精神が復活することを願います。
ヒルデブランド・ヤイゼル著、柳瀬晃男訳『ヒルデブランド神父自伝』中央出版社、1989年、pp.110-111