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サラ枢機卿「手による聖体拝領は教会に対する『悪魔的攻撃』の一つ」(英The Tablet誌より)

典礼秘跡省の長官であるサラ枢機卿様が、ひざまずいての手による聖体拝領を強く主張されています。The Tablet誌(1840年より発行されている英国のカトリック週刊誌)のWebサイトにおける掲載記事のうち、聖体拝領に関する箇所を紹介いたします。


2018年2月23日付 Christopher Lamb氏署名記事より
翻訳元ページのURL http://www.thetablet.co.uk/news/8619/receiving-communion-on-the-hand-is-part-of-diabolical-attack-on-the-church-says-sarah-

※ Christopher Lamb氏の種々発言を見るに、彼はサラ枢機卿様に対して否定的な見方をする記者です(参考:Twitter投稿)。

手による聖体拝領は教会に対する「悪魔的攻撃」の一つだとサラ枢機卿は述べる

サラ枢機卿

 バチカンの典礼に関する最高官は、手で聖体を拝領することは教会に対する悪魔的攻撃の一つであり、神への畏敬の念を損なうものであると述べています。

 ローマ教皇庁典礼秘蹟省長官であるロベール・サラ枢機卿は、カトリック信徒に、跪いて舌の上で聖体を拝領することを始めるように呼びかけています。この所作は、秘跡に「より相応ふさわしいものである」と同枢機卿は述べています。

 「まさに大天使聖ミカエルとその使いたちを一方に、そしてルシフェルを他方とする戦いは信仰を持つ者の心にあり続けます。悪魔の標的は、ミサ聖祭のいけにえと聖別されたホスチアにおけるイエズスの実在です」と、72歳のギニア人の高位聖職者〔管理人注: サラ枢機卿のこと〕はFederico Bortoli 神父による書籍 『La Distribuzione della Comunione sulla Mano: Profili Storici, Giuridici e Pastorali』(1)(手への聖体の授与: 歴史的な、法的な、そして司牧的な概要)の前書きに寄せて書いています。

 「なぜ私たちは立っての手による聖体拝領に固執するのでしょうか。なぜ神の証への従順さに欠けるこの態度に固執するのでしょうか。[跪いて舌で拝領することは]この秘跡そのものに対してとても相応しいです。この所作の美しさと司牧的価値について、再発見と普及とがなされることを望みます。私の見解と判断によれば、これは教会が今日応えなければならない重要な問題です。」

 手による聖体拝領は初期のキリスト教徒によって行われました。そして、1962年から65年にわたり、世界中の司教を集めて、自国語の使用を含む典礼の変更を投票し決定した第2バチカン公会議後に再出現したのです。

 しかしながら、ミサ中に跪いて聖体を舌で拝領することは、数世紀にわたってカトリック信徒の慣習でした。そして、今またこれを標準にしようとする動きがあります。教皇ベネディクト16世の在位時に、教皇ミサでは、教皇が聖体を舌に授けること(2)が定められました。

 それにもかかわらず、聖座は世界の多くの国で聖体を手に授けることを許可しており、それらの地域で〔手への聖体授与が〕広く行われています。この地域には、アメリカ合衆国、イングランドとウェールズ、カナダ、スコットランド、ジンバブエ、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニア、アイルランド、パキスタン、マレーシア、シンガポールが含まれています。


サイト管理人による備考

(1)  2018年2月26日にイタリアで出版された書籍。
       
 
なお、サイト「護教の盾」にてサラ枢機卿様による序文を試訳されています。序文の抜粋とのことですが、長文の訳出です。
 
(2)  当サイトに掲載している日本語訳はこちらです。

 サラ枢機卿様のおっしゃる「悪魔的攻撃」と聞くと、一部で知れ渡っている秘密結社による極秘司令を思い起こさせます。日本においても、悪魔的攻撃のゆえか、受洗のときに手で拝領する方式しか教えない教会がおそらく大多数だと思われます。

 サラ枢機卿様のお言葉を励みにして、今の日本の教会の空気に飲まれてしまうことなく、畏敬の態度で以て御聖体を拝領していきたく存じます。