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90年代のグレゴリオ聖歌ブームよ再び。日本の教会での再興も願う。

1990年代にグレゴリオ聖歌が世界的なブームになりました。若い方はご存じないかもしれませんが、ここ日本でも、です。

シロス修道院聖歌隊(ベネディクト会)のCDアルバムが1993年10月にスペインで発売され、10週連続で同国ポップスチャート1位を記録したことから世界的なグレゴリオ聖歌ブームは始まりました。

スペインでの大ヒットを受けて、その他各国のレコード会社は自国でもヒットさせるべく仕掛けを行ったようですが(後述)、そうであってもグレゴリオ聖歌に馴染みのない人たち、特に当時の若者にも大きく支持された現象は「奇跡」だと捉えられました。ヨーロッパ各国でポップスチャートのベスト5入り、アメリカのビルボード誌チャートでも最高位3位を記録しました。

日本においては、当該アルバムの国内盤が1994年4月に発売されました。全音楽ジャンルのCDアルバム売り上げのオリコンチャートでは17位にまで上り詰め、クラシック音楽としては空前のヒットとなりました。数百万枚のミリオンセラーアルバムを乱発する歌手・バンドがひしめき合っていた90年代の音楽業界において、グレゴリオ聖歌ブームは驚くべき出来事でした。

このような宣教の好機においても、皆さんお分かりのように、日本の教会はグレゴリオ聖歌を復興させることはありませんでした。むしろどんどん歌わない方向を推し進めて、今の惨状に至っています。

私はグレゴリオ聖歌に詳しくなく、上記のアルバムもApple Musicなどでのデジタルデータでしか聴いたことがないのですが(CDを所有していない)、当時の雑誌情報などをもとにグレゴリオ聖歌ブームについて少しだけ録することにしました。

昨今のかんばしくない世相に差し込む光として、グレゴリオ聖歌が何らかのきっかけで日本で再ブームとなって欲しい、教会でも進んでグレゴリオ聖歌を歌うように変わって欲しい、という願い故です。

1993年から1994年に起きた世界的なグレゴリオ聖歌ブーム

CDアルバムデータ

ミサ聖祭の固有文聖歌を中心として収録したコンピレーション・アルバム「グレゴリオ・チャント(心に染み入る安息の音楽!)」は、日本では1994年(平成6年)4月20日に発売されました。CDアルバムのデータは、以下の通りです。

  • 「グレゴリオ・チャント(グレゴリオ聖歌)(心に染み入る安息の音楽!)」クエスタ指揮 シロス修道院合唱団 (EMIクラシックス TOCE8374)
  • 価格: 2,800円
  • 日本 国内盤発売日: 4月20日
  • 発売元: 東芝EMI
  • 録音時期: 1973年
  • 収録曲 ※日本語表記は本CDアルバムに倣っている。(出典

    1  Puer Natus Est Nobis: Introito (Modo VII)
    入祭唱:幼な子われらに生まれ(第7旋法)

    2  Genuit Puerpera Regem: Antifona Y Salmo 99 (Modo II)
    交唱及び詩篇19:処女、王をば生みぬ(第2旋法)

    3  Ave Mundi Spes Maria: Secuencia (Modos VII Y VIII)
    続唱:めでたし、世の望みなるマリアよ(第7&第8旋法)

    4  Occuli Omnium: Gradual (Modo VII)
    昇階唱:すべての者らの瞳が(第7旋法)

    5  Veni Creator Spiritus: Himno (Modo VIII)
    讃歌:来たれ、創物主なる聖霊(第8旋法)

    6  Allelula, Beatus Vir Qui Suffert (Modo I)
    アレルヤ唱:試練に耐えうるものは幸いなり(第1旋法)

    7  Os Iusti: Gradual (Modo I)
    昇階唱:正しき者の唇は(第1旋法)

    8  Spiritus Domini: Introito (Modo VIII)
    入祭唱:主の聖霊は地上に満つ(第8旋法)

    9  Kyri Fons Bonitatis: Tropo (Modo III)
    トロープス:善きことの泉なる主よ(第3旋法)

    10  Laetatus Sum: Graual (Modo VII)
    昇階唱:われ、いかに嬉しきかな(第7旋法)

    11  A Solis Orus Cardine: Himno (Modo III)
    讃歌:陽の出ずる地の果てより(第3旋法)

    12  Christus Factus Est Pro Nobis: Gradual (Modo V)
    昇階唱:キリストはわれらがため死のもとにすら(第5旋法)

    13  Mandatum Novum Do Vobis: Antifona Y Saimo 132 (Modo III)
    交唱及び詩篇132:新しき訓えを汝らに与えん(第3旋法)

    14  Media Vita In Morte Sumus: Responsorio (Modo IV)
    答唱:われら、死への道程の半ばに(第4旋法)

  • オリジナル盤は二枚組として1993年10月にスペインより発売。オリジナル盤のタイトルは”Las Mejores Obras Del Canto Gregoriano” (Coro De Monjes Del Monasterio Benedictino De Santo Domingo De Silos)
    オリジナル二枚組の収録曲リストはこちら
  • 日本では二枚組ではなく一枚のアルバムとして発売され、1994年7月27日に残りの2枚目が発売された。
  • 【参考】サントドミンゴデシロス修道院
    Monasterio benedictino de Santo Domingo de Silos(英Wikipedia)

当該アルバムを実際に聴いたことがある方や、上掲の収録曲リストを見てどのような聖歌なのか認識できる方としては、「なぜこのような地味なグレゴリオ聖歌選集がクラシック界空前のヒットとなったのだろう」と思われるかもしれません。(私もそう思います。)

世界各国でブームとなるまでの経緯について、参考資料をもとに記してみます。

スペインでのCDアルバム発売から、各国で空前のヒットとなるまで

ことの始まりは1993年10月22日。スペインEMI社が、1985年に吸収合併したイスパボックス社のレパートリーからグレゴリオ聖歌の二枚組アルバムを再販しました(1枚目:1973年録音、2枚目: 1980、1981、1982年録音)。

すると、またたく間に、同年11月末には16万セット、1994年1月までには25万セットが売れ、同時期に発売されたビートルズのいわゆる「赤盤」「青盤」を押さえて、ポップス部門(※クラシック限定ではない)のスペイン・アルバム・チャートで10週間トップを記録しました。1992年開催のバルセロナ・オリンピック以来、23%を超える失業率を示し、大変な不況のまっただ中にあった世相が影響していたという、当時の東芝EMI社による日本でのCD広告情報もありますが、真偽のほどは分かりません。

ヒットはスペイン国外にも波及して、全世界的なブームとなりました。ヨーロッパ各国でベスト5入り、アメリカではビルボード誌チャートで最高位3位まで上昇しました。

1994年4月末時点の各国チャート最高位

※ クラシック単独ではなく、ポップスチャート

スペイン 1位
イギリス 10位
スイス 5位
オランダ 3位
ベルギー 2位
ポルトガル 3位
スウェーデン 3位
イタリア 11位
アイルランド 7位
オーストラリア 15位
フランス 15位
フィンランド 4位
チリ 1位
ベネズエラ 4位

出典: 『レコード芸術』第43巻第6号(1994年6月1日発行、音楽之友社)p.238より

なお、当該アルバムの全世界での累計売り上げ枚数は計5百万枚ないし6百万枚というデータもあります。(アメリカ単独でも累計3百万枚。)

ブーム以前の日本一般社会におけるグレゴリオ聖歌

ここで、グレゴリオ聖歌ブーム以前に日本ではグレゴリオ聖歌が一般的にどのように受け止められていたかについて、ほんの少しの資料をもとに書き記します。

シロス修道院聖歌隊による上記CDが登場する前にも、レコードやCDで各種グレゴリオ聖歌収録盤が日本で発売されています。

まず1960年代にフランスのソレム修道院(ベネディクト会のサン・ピエール・ド・ソレム修道院)聖歌隊によるレコードが数多く発売され、グレゴリオ聖歌が一般に知られるようになったものの、クラシック音楽ファンにとってもグレゴリオ聖歌は「特別な音楽」の域を出なかった ― との旨が、手持ちのグレゴリオ聖歌のCDライナーノーツ(※)にて述べられています。

※ ジョン・マッカーシー指揮 / ロンドン・カルメル派(原文ママ)修道院聖歌隊「グレゴリオ聖歌集」(1996年、発売ポリドール、販売ポリグラム)

一般に知られるようになった、との度合いは分かりかねますが、クラシック音楽ファンを中心とした「一般」層だったのでしょうか。

一方で、カトリック信者でもあった故・皆川達夫氏は、著書『中世・ルネサンスの音楽』(講談社、2009年)のなかで興味深い現象について語っています。

1985年まで解説を担当されていたNHK・FMの番組(「バロック音楽の楽しみ」のことだと思われる)で紹介したグレゴリオ聖歌に対して、いわゆるインテリやクラシック・ファンではない若者や中高年の人々から反響があったこと。「むしろロックやフォークが好きで、キリスト教などにまったく関心がない」という当時の若者、それも中学生や高校生たちが、グレゴリオ聖歌に熱狂的な反応を示したことについてです。

皆川達夫氏のラジオ番組のリスナーという限定的な範囲ではあっても、クラシック愛好家ではない人々において、グレゴリオ聖歌が好意的に受け入れられるという現象は起きていたのでしょう。

CDアルバム「グレゴリアン・チャント」ヒットの仕掛け

1993年から1994年にかけての世界各国での大ヒットを受けて、日本でも1994年4月20日に国内盤CDアルバム「グレゴリオ・チャント(心に染み入る安息の音楽!)」が東芝EMI社より発売されました。

1994年6月27号のオリコンチャート掲載業界紙『オリジナルコンフィデンス』(出版社:オリコン・エンタテインメント)に「『グレゴリアン・チャント』にヒットのケーススタディをみる」というに興味深い小記事が掲載されています。これによると、東芝EMI社は宣伝費を抑えつつ雑誌やTVを使った三段階のPR戦略を用意したとのことです。(音楽業界が潤っていた当時の感覚での「抑制」だと思われますが・・・。)

「第一段階はコアファンへの浸透を図るためレビューやコラムを中心とした露出を週刊新潮等を中心に仕掛け、第二段階PRでは一般へのカバーを中心に販促。NHK『おはよう日本』他でのTV露出によってクラシックゾーンとは異なる市場へのアプローチを開始。そして第三段階では7月27日発売の第2作と7月20日発売の『ディスコグレゴリアーノ』の両作キャンペーンをディスコ等を中心に展開予定」
※ 漢字など、一部表記を変更しました。

そして、記事中の東芝EMI社 副部長K氏の言葉によれば、仏教国につき「イメージ」で売って、ブームを作り出したとのことです。

「『欧米ではTVスポットをリリース時に打ち出し露出させましたが、日本では宣伝費を抑えながらマスメディアとの連動によるPRに力を入れ下地作りを行ってきました。そして一つの流れを作った後に効果的なTVスポットを挿入。仏教国なので、いかにイメージで売るかということをテーマにディーラーとの協力体制の中からブームを作り出したんです』」

実際、1994年5月下旬時点の東芝EMI社によるアルバム広告でも「音楽治癒効果」「癒やし」「安息」を全面に打ち出した文章が書かれています。(『オリジナルコンフィデンス』誌掲載広告)

一時期たいへんに話題になり”頭の良くなる音楽”まで現れたクラシックの中でも、その音楽の基本とも言うべき音楽がこのグレゴリアン・チャントなのです。その音楽的効果は、アルファー波はもとより”音楽治癒”にまで及び、正しく「安息のもと」「精神安定のもと」「疲労回復のもと」となりうるのです。その美しい響きは、聞く人の空想を豊かにし、今自分の居る場所からより高い次元へと誘い、心身をリフレッシュし、現実に生きる力を倍増するのです。スペインでは、バルセロナ・オリンピック以来、23%を超える失業率を示し、たいへんな不況の真っ只中にありますが、そのスペインでこの音楽が「10週連続ポップスチャート1位」と言う奇跡を起こした理由も、この音楽之心身への音楽治癒効果の現れと考えられるのではないでしょうか。アメリカでのビルボード・アルバム・チャート4位 100万枚突破と言う数字もこの音楽治癒効果が大人ばかりではなく、ヤングの層にまで(潜在的に)広まっているためであるように感じられるのです。

まずは、是非この奇跡の音楽を是非この奇跡の音楽をお聞き下さい。貴方の心は安らぎ、幸福が倍増し、怒りは静まり、平和な優しい心が貴方の中に満ち溢れることでしょう。

このようなイメージ戦略、広告宣伝文章について知ると、音楽や典礼関連に真剣な方の中には不快に感じる方もおられるかもしれません。

とは言え、イメージ戦略だけが功を奏したのではなく、グレゴリオ聖歌自体に大きな魅力があったからこそ、同聖歌に馴染みがない一般的な日本人の間でもブームにまで成長したのだと思われます。

皆川達夫氏による当時のCDアルバム批評、その他雑誌記事

東芝EMI社によるイメージ戦略PRの一方で、クラシック音楽誌には真面目な記事・批評が掲載されました。

1994年6月1日発行のクラシック音楽誌『レコード芸術』(音楽之友社)には、皆川達夫氏、服部幸三氏によるCDアルバム批評が掲載されています。
両氏ともに「推薦」(推薦盤)の評価です。

『レコード芸術』誌 批評
服部幸三氏の批評には、第二バチカン公会議以降において「歴史的な大きな遺産であるグレゴリオ聖歌が片隅に追いやられることになってしまった」と記す文章もあります。

皆川達夫氏による批評文を引用します。

推薦 ひさびさにグレゴリオ聖歌のすぐれたCDが発売された。スペインのシロス修道院修道士たちによる演唱である。この修道院には中世の貴重な音楽資料が多数伝えられ、音楽伝承の古さの点からすれば、フランスのソレム修道院などとても太刀打ちできない由緒ある地である。指揮はイスマエル・フェルナンデス・デ・ラ・クエスタ修道士。知る人ぞ知るの古楽演奏家で、ビクトリアをはじめスペイン中世・ルネサンスの音楽演奏の面で、多くの業績をあげている聖職者である。

今回のCDは一つの祝日に限定せず、クリスマスのための入祭唱、聖木曜日のための昇階唱、聖霊への賛歌など、いろいろな目的のためのいろいろなタイプの聖歌を多様におさめて、いわば「グレゴリオ聖歌名曲集」として構成されている。演奏そのものは音楽的にいって決して上手ではなく、不揃いなところや音の乱れるところもいくつか散見する。この録音がほとんど”テイク・ワン”で済んでしまったという事情も、さもありなんと納得されてくる。リズムの装いもいわゆるソレム唱法を基本としていて、格別の特徴があるわけではない。解説書によると、デ・ラ・クエスタ修道士らはドイツのボイロン修道院などの演奏も参考にしたそうだが、基本的にソレム唱法によっていることは確かである(その点わが国では、ソレム唱法に対立するものとして別個にボイロン唱法とかシロス唱法などというものが存在するかのように受け取りがちだが、それは決して正確ではない)。

しかし、このグレゴリオ聖歌の演奏はじつに素朴で新鮮かつ強靱で、不思議な説得力をもって聞く者をあたたかくおし包んでくれる。スペインの修道士たちの誠実でひたむきな祈りの心が、おのずからほとばしり出てわたくしたちに迫ってくるということなのであろう。デ・ラ・クエスタ修道士の言葉によると、「この録音は、彼ら(シロス修道士たち)が日常に歌うところをそのまま忠実に記録しようという意図に立つもので・・・・・より綺麗に洗練された音を求めようとは、私たちは考えなかった。ただこうしてのみ、私たちが親しんできた古い聖歌に秘められた無限の色合いを、そして込められた魂の熱さを伝えることができると信じたゆえである」(濱田磁郎氏訳)。

『レコード芸術』誌のこの号には、那須輝彦氏による「全世界で200万枚!! 大ヒットを続ける「グレゴリオ聖歌」という記事も掲載されています。

※ 「全世界で200万枚」とは、記事執筆時点での枚数。先述のように全世界での累計売り上げ枚数は500万ないし600万枚。

なお、クラシック音楽誌『音楽現代』(芸術現代社)の1994年8月1日発行号でも、「今、何故、グレゴリオ聖歌?」と題した真面目な特別企画が組まれています。

音楽産業興隆期の90年代日本でも、チャート好成績を記録

1994年4月20日の発売後、CDアルバム「グレゴリアン・チャント」は5月2日に全音楽ジャンルのCDアルバム売り上げトップ 200位圏内に初チャートインしました(184位)。以降、チャートを上昇し続け、6月13日には17位(最高位)にまで到達しました。17位到達時のチャート1位はZARD、2位は布袋寅泰、3位はTOSHI、以降もtrf、ROCKIN’ON JAPAN(所謂ロキノン)系ロックバンド、アニソンのアルバムなどが続いているなかで、修道士によるグレゴリオ聖歌アルバムが高位につける「異様さ」が分かるかと思います。

その後も「グレゴリアン・チャント」は数ヶ月にわたって200位圏内にとどまり続け、1994年単年では計約9万2千枚の売り上げとなりました。(1994年以降を含めた日本での累計販売枚数は17万枚というデータもあります。)

1994年当時の日本の音楽市場としては、ビーイング系、小室ファミリー、Mr.Children、DREAMS COME TRUE、竹内まりやなどの数百万枚のヒットを叩き出すミリオンセラー組や、ロキノン系ロックバンド、渋谷系、洋楽ではマライア・キャリー、コンピレーション「NOW」、各種オルタナティブロックなどがひしめき合っているという状況のなかで、グレゴリオ聖歌が一般の日本人にも認知され、ヒットしたことは脅威的です。地味なグレゴリオ聖歌選集ではありますが、多数の日本人がグレゴリオ聖歌を初めて聞き、その旋律が醸し出す神聖な空気感に魅了され、買い求めたということなのでしょうか。

「グレゴリアン・チャント」の空前のヒットには当時の東芝EMI社 乙骨剛社長も驚いたようで、1995年1月2日発行号『オリジナル コンフィデンス』に掲載された各レコード会社社長の年頭挨拶コーナーにて「『グレゴリアン・チャント』の世界的ヒット」について言及しているほどです。

「グレゴリアン・チャント」のヒットを受けて、東芝EMI社や別のレコード会社からもその他グレゴリオ聖歌がCDアルバムが続々と発売されました。まさにグレゴリオ聖歌ブームの影響です。

日本の教会ではグレゴリオ聖歌ブームは無視された

日本でのグレゴリオ聖歌ブームという宣教の好機においても、教会でグレゴリオ聖歌を復興させなかったということは、今の惨状からよく分かる通りです。

カトリック・アクション同志会主催による荘厳司教ミサに与った方々の「1994年の声」のなかに、当時の雰囲気が察せられる文章があります。

「今グレゴリオ聖歌が一種のブームだといいます。私はこれを、現代に呼びかけておられる神のお声のように感じます。グレゴリオ聖歌が、単にCDで聴くものだけではなく、ラテン語ミサの中で実際に人々の信仰を支えているのだということを社会の人々に示すことは、神の呼び声にお応えすることではないだろうかと、これは私の密かな思いです。」(Y.I修道士)


「いまCDのベストセラーは世界でも、わが国においてもグレゴリオ聖歌だそうですが、これほどのすばらしいものを第二ヴァチカン公会議後カトリック教会は何故捨ててしまったのか、私には不思議でなりません。刷新の名のもとに、歌いづらい典礼聖歌、カトリック聖歌の廃止、プロテスタント化したミサ、十字架の道行の廃止、ロザリオの祈りをしない、等々、教会内の不一致を挙げればきりがありません。」(おそらく平信徒(サイト上に記載なし))

※ 一部誤字を修正

1987年11月に開催された「福音宣教推進全国会議」、所謂「NICEナイス」(正式にはNICE-1)後に、伝統信心廃棄・俗化路線を更に強めていった日本の教会は、グレゴリオ聖歌ブームを無視しました。

そして現在。東京大司教区を例に挙げると、カトリック聖歌集に掲載されている「天使ミサ」やその他ラテン語聖歌でさえ、ほとんどの小教区では全く歌っていません。過去の遺物扱いです。

戸枝正子氏編著の『グレゴリオ聖歌選集』(サンパウロ、2004年)には、グレゴリオ聖歌ブーム後に関する記載があります。

「ブームの嵐が去った後も、これを愛好し続け、関心をもって自ら歌いたいと望んでいる人々にしばしば出会う。そして、グレゴリオ聖歌の楽譜集はないでしょうか、と尋ねられる。」(「はしがき」より。p. iii)

このような未信者の存在も、日本の教会は無視し続けていると言えます。

終わりに

90年代にブームを巻き起こしたグレゴリオ聖歌が、また何らかのきっかけで再ブームとなることを願っています。

グレゴリオ聖歌には、神聖な感覚のうちに、心と魂を神の現存へと引き上げる美しさがあります。グレゴリオ聖歌を聴くうちに、カトリックの信仰への関心が呼び起こされる未信者もいることでしょう。今後、日本の教会が積極的にグレゴリオ聖歌を歌うように変われば、教会を訪れる未信者の方々も増えると思われます。

また、典礼と共に形成されてきたグレゴリオ聖歌は、典礼のなかで歌い続けることにより、後の世代に引き継がなければなりません。カトリック大辞典の表現を借りれば、「典礼的挙動の崇高性に最高度において適合する」旋律を持つグレゴリオ聖歌は、カトリック信徒の共同財産です。

ついでに言えば、あちこちのごく普通の小教区でグレゴリオ聖歌を歌う文化が再興してはじめて、トリエント・ミサ(特別形式ミサ)という共同財産の価値が多くの信徒に認識されるのではないでしょうか。神様への畏怖と聖なる感覚の復興は、グレゴリオ聖歌や跪きの姿勢、そして伝統信心の復興なくして成し遂げられないからです。

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2020年9月15日 聖マリアの七つの御苦しみ


参考文献

『レコード芸術』第43巻第6号(1994年6月1日発行、音楽之友社)
 皆川達夫氏、服部幸三氏によるCD批評 p.165、那須輝彦氏による記事 p.238

『オリジナルコンフィデンス』(出版社:オリコン・エンタテインメント)
1994年5月23日号
1994年6月27日号
1995年1月2日号 他

『音楽現代』八月号(平成6年(1994年)8月1日発行、芸術現代社)
 特別企画「今、何故、グレゴリオ聖歌?」

Chant (Benedictine Monks of Santo Domingo de Silos album)
米国、全世界での売り上げ枚数情報

HMV&BOOKS online 「グレゴリアン・チャント(グレゴリオ聖歌) シロス修道院合唱団
国内盤収録曲、日本での累計売り上げ枚数情報

Discogs スペインオリジナル盤情報

皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』講談社、2009年

戸枝正子編著『グレゴリオ聖歌選集』サンパウロ、2004年

上智大学編『カトリック大辞典 Ⅱ』冨山房、1942年