ゼノ修道士も秘密結社員の回心のために祈った (インタビュー)

 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様が「無原罪の聖母の騎士会」(けがれなき聖母の騎士会)を創立したきっかけは、フリーメイソンが教会に対して侮辱する様を見たことによる、という話は割とよく知られているエピソードだと思われます。

 ときは1917年(ファティマの聖母の御出現年)、ローマ神学生時代のコルベ神父様が目撃したその光景について、『アウシュビッツの聖者 コルベ神父』にはこう記されています。

 ※ 冒頭のカギ括弧内は、1935年に聖コルベ神父様が院長命令によってしたためた文章からの抜粋です。

 「フリー・メーソンが、ますます、大胆になって、暴れだし、その旗印、すなわち、ルチフェルが大天使ミカエルを踏みにじっている場面を黒地にした旗印を、ヴァチカンの窓先にさえ打ち立てたとき、彼らが、教皇を罵倒するパンフレットを配布し始めたとき、このフリー・メーソンとルチフェルの他の手先どもに向かって戦うことを目ざす一つの会を創立しようという考えが浮かびました」

 マキシミリアン神父は、上記のパンフレットの中に書かれてあることがらについて語っていない。しかし、彼は、これを知っていたのである。1917年、フリー・メーソン創立200周年記念を祝うにあたり、ローマが、瀆聖的な狂言の舞台として選ばれた。聖ペトロ大聖堂の広場の上、尊き囚人なる教皇の窓先で、悪魔につかれた人々の群れが、「サタンはヴァチカンを支配すべきだ。教皇はその奴隷となるんだ」としるされた悪魔的な旗を振りかざしていた。

  マリア・ヴィノフスカ著『アウシュビッツの聖者 コルベ神父』聖母の騎士社、1988年、pp.56-57

聖コルベ神父    ※ 文章内の漢数字はローマ数字に改めました。また、「右のパンフレット」を「上記のパンフレット」としました。(縦書き書籍を想定した邦訳につき)
    ※ 書籍の画像は聖母の騎士社サイトより

 




 そして、無原罪の聖母の騎士会を創立する目的は「特に秘密結社の回心」のために努力することだったようですが、実際に彼らのために祈っていたことをゼノ修道士(以下、「ゼノさん」)が語るインタビューを、以下紹介いたします。フリーメイソン絡みの話がゼノさん側からも語られているという、貴重な資料だと思われます。

雑誌『聖母の騎士』 対談 (1970年5月号)
天国ニ勲章イラナイヨ =ゼノ修道士健在=

 ゼノ・ゼブロゥスキー (コンベンツアル聖フランシスコ会修道士)
 溝口 昭 (ヴェリタス出版社 社長)

 

一東京・聖ボナベンツラ神学院応接室にてー
▼本文中の力ッコ内は対談者の注

溝口 『聖母の騎士』はことし発刊四十年を迎えられるそうで、おめでとうございます。
ゼノ はい、ねえ………。(その間ずっと)私、日本語へ夕です。どうしてかわかりません。モモタロの勉強したのですが。
溝口 初めは意識的にのばされたアゴヒゲでしょうが、ずい分きれいで………。手入れが大変でしょう。
ゼノ クシ持ってます。広島の萩原教区長様(注・現在引退されて鎌倉に在住)からね。私、丸坊主ですから、手入れはヒゲだけよ。
溝口 いったい、ことし、おいくつですか。
ゼノ 七十九歳ね。(笑い)
溝口 ほんとうですか?
ゼノ (実は)私生まれるの証明ありません。アメ降るように (天から)落ちたわけでもない (でしょうが)。
溝口 そういえば、ゼノさんのお若い時分、お国はたいそう混乱したようで、戸籍も洗礼証明も焼けてしまったそうですねえ。
ゼノ ハイ。若いのとき「立ちのけ」ですから、なんもかんも焼きました。(従って正確には)誕生日わかりません。
溝口 (笑いながら)でもこの数年間、いつうかがっても七十九歳とお答えになっていますよ。………まあ、いいでしょう。ところで、四十年前にコルベ神父様と一緒に長崎へ上陸なさったわけですが、コルベ神父様と初めてお会いになったのはいつごろですか。
ゼノ そう、ボーヤでしたね、私。
溝口 どちらが年上なのですか。
ゼノ どっち年上わかりません。(とにかく私が)修道院へはいったとき(コルベ神父様は)オヤカタでした。エラいの人です。
溝ロ ゼノさんが兵隊さんの時分にコルベ神父様は神学生で?
ゼノ いいえ、コルベ神父様兵隊ならない。コレ肺病ですよ。(コルベ兄弟からは)神学生三人出ました。(ほかに)兄さん兵隊。(中の)一人は高等学校のオヤカタ(校長)ね。
溝口 そのコルベ神父様はアウシュビッツで亡くなられたわけですが、現在のポ―ランドについて何かニュースはありますか。
ゼノ 妹一人おりますが、あまり知らない。私、新聞読まない、テレビ見ないよ。ワカリマセン。
溝ロ コルベ神父様との出会いの前後には、ポーランドにはいろいろと複雑な事情があったようですが、神父様と一緒に祖国のためには、ずい分と祈られたそうですね。
ゼノ ああ、コレしました。秘密結社のポーランド人たくさんいました。(その大部分は)怠け者ね。教会を悪く考える。当り前でしよ。コルベ神父様、コレ知っています。祈りました。(だから彼らも)死ぬときカトリックになったかもしれません。不思議のメダイ、コレいっぱいあげました。

溝口 ところで、一般にいまだにゼノさんのことを”神父”と思いこんでいる人が多いようですが。
ゼノ はい、コレね、はじめ朝日新聞が(”ゼノ神父”)書きました。あとコレみなさん「ゼノ神父さま」ね。私、神父でナイヨ。
溝口 当時教会内部にも非難の声があがったので土井大司教様のもとへ釈明に出かけたとか。
ゼノ ああ行きました。私、恥ずかシです。「大司教様すみません」ネ。(ところが)大司教様、私見て
「オー、ゼノ神父様!」よ。「大司教様、私神父ナイよ」「いえ、いいです、いいです」。私ありがとね。
溝口 (ゼノさんが積みあげた新聞記事のスクラップ・ブックに目を通しながら)そういえば、どの記事にも「ゼノ神父」とありますね。このスクラップ・ブックがみんなゼノさんの記事ですか、すごいですねえ。
ゼノ コレ全部でないよ。まだあるよ。
         *
 ―こうして話はゼノさんの思い出に移っていった。ゴツゴツして人並みはずれた大きい手が、古い新聞記事をおって一つ一つ指差してゆく。
         *
溝口 (一枚の切り抜きに目をとめて)ほほう、病気のご主人とお母さんを抱えた人をゼノさんが助けられたという話ですね。
ゼノ はい。新聞社に行きました。私恥ずかしかったけど、頼んだね。(その地区の)神父様が「くわしい話聞きたい」(といわれた)ね。(でもそうやっていると)面倒くさい(手続きが必要なのでその間
に)貧乏人死にます。新聞社へ行って頼む(ほうが解決は早いから)いいです。祈りコレいるでしょう。(でも)金もいるでしょう。ちょうど月曜日ね。近所の中学校へ行きました。オヤカタ(校長)に話す、オヤカタ「かわいそうね」(といいました)。(その場で)「ポケットお金ありますからみなやって下さい」。私みなやりました。このこと(を報じた)新聞持って(回ると)寄付集まりましたね。


溝口 (学習院大学祭の『アリの町展』でゼノさんが皇太子殿下のご説明役を買って出ている写真を見て)これは………?
ゼノ はあい、私この人、天皇の息子(であること)を知りません。ずっとあと知りました。(いまでは)天皇の弟………ナンという………あ、チチブも知ってます。
溝口 こうして写真や記事をごらんになるといろんなことを思い出されるでしょうね。
ゼノ ン、少し覚え(てい)るね。とてもかわいそう(なことほど)よく覚えるね。
溝口  ところで最近も町へはお出かけになりますか。
ゼノ 一日おきくらいね。私ボロになりました。心(心臓)もボロ、足もボロね。
溝口 町にはミニやマキシの若い女性があふれているでしょう。
ゼノ コレ恥かシです。私知っているの娘、コレニ十二歳。ミニよ。ことし十月結婚します。クリスマスに洗礼受けました。熱心の方よ。(でもいまでは)少し怠け者かもしれません。だれでも新しいうち怠け者少ないでしょ。あとからコレ怠け者になりますね。(かくいう)私も少し怠け者になりました。
溝口 いえいえ、これだけ活躍されたのだから、少し静かにしておられるのもいいでしょう。長年にわたるご活躍に日本の国からも勲四等瑞宝章が贈られたくらいですからね。
ゼノ あれねえ、恥ずかシです。天国に勲章いらないヨ。

        *
 ―勲章を拝見したいという申し出に応じてゼノさんが気軽に席を立ったとき、同席していた水浦神父様がいった。
  「ゼノさんはいまでも毎日、朝ヒョイといなくなるんです。昼食用のパン切れ三枚だけ持って、あちこち回っているらしく、この前など下落合の聖母病院へ用件で行ったら、待合室でゼノさんがまわりの人と談笑していました。なにしろヒッチハイクの名人で、帰りには修道院の門の前へ車を止めさせる。トラックだろうと外車だろうとおかまいなしです。そして車を待たせておいて自室へかけこみ、ご絵やメダイ、書籍などをプレゼントするんですよ。『貧しい人のためにお祈り下さい』ということばをそえて――」

        *
溝口 (叙勲証書を前にテレるゼノさんに)いまでもご絵を渡しておられるそうですね。
ゼノ はい、いい人たくさんおります。みな「牧師さん、何か記念にほしいです」(といいますから)。この前、丸坊主のアマさん、つまりハイカラ・アマさんに『ゼノ死ぬひまない』を三冊あげました。アマさんその上「コンタツが欲しい」(といいます)。何するかわからないけど、(あげました)。
溝口 あい変わらず元気に活躍しておられることを知って安心しました。お好きな”牛の酒”でも飲んでいつまでもご活躍ください。
ゼノ ああ、牛の酒(注・牛乳のこと)いいです。でも心臓ボ口なりました。まだ少し仕事ありますけど、ことし墓地ゆくかもしれません。(それまで)私コレ毎日(出歩くことは)むつかシけれども、怠け者にならないようにします。
溝口 うんとがんばってください。私たちもゼノさんの熱を自分の立ち場で生かしたいと思います。

 『聖母の騎士』 1970年(昭和45年) 5月号より(聖母の騎士社)

 ※ ゼノさんの氏名表記等、原文ママとしました。太字強調部分はサイト管理人によります。
 ※ 対談相手の溝口社長は、おそらく司祭(帰天)だと思われます。
 ※ 秘密結社について語っている該当箇所前後もインタビュー記事として大変興味深いので、折りたたんで掲載しました。


 今年2018年は教会の御母、聖マリアの記念日が定められた年ですが、その一方で、彼らは教会を挑発、侮辱するかのような祭典をニューヨークで開催しました。それも聖母月である5月に…。詳細については次回の記事で書きますが、聖コルベ神父様、ゼノさんように、聖母マリア様に取り次ぎの祈りをしなければならないと強く思います。

 ああ、原罪なく宿り給いし聖マリア、御身により頼み奉る我らのために祈り給え。また、すべて御身により頼まぬ者のため、特に秘密結社員の回心のために祈り給え。


Zenon Żebrowski

 大浦天主堂と「当時を回想するゼノ修道士」(『聖母の騎士』1970年5月号より)