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【カトリック新聞】 「手による聖体拝領」導入に関する虚偽報道とプロパガンダ(1970年)②

前回記事(【カトリック新聞】 「手による聖体拝領」導入報道記事(1970年10月11日付 ①))の末尾で述べた通り、1970年10月11日付けのカトリック新聞における「手による聖体拝領」導入の報道記事では、リード文時点から堂々と嘘を書き記しています。以下、虚偽報道の内容を提示していきます。
※ 長文につき、2ページに分割しております。

虚偽報道の内容

カトリック新聞記事と「手引き」上の虚偽

先ずは、新聞記事上で「指針」について言及する箇所を4つ挙げます。


《1》 リード文
: 「このほど典礼聖省長官ベンノ・グート枢機卿から、将来、信者に聖体を手に授けるための指針が届いた。その全文は次のとおり。」

《2》小見出し: 「典礼聖省からの指針

《3》 典礼聖省からの書簡: 「一九六九年五月二十九日付の同封指針」

《4》 「聖体を手に授けるための手引」典礼委員会編
「1 一般には、典礼聖省の指針に従って、古代教会の伝統的な方法がすすめられます。この場合、聖体を授ける奉仕者は、信者の”手のひら”に聖体を置きますから…」

この「手引き」 1番は、典礼聖省からの書簡の基準4番と対応しています。
「4  拝領の具体的な方法については、古代教会の伝統が伝えている方針に従うのがよいでしょう。司祭または助祭が拝領者の手に聖体をおくという伝統的な方法は…」

神の子羊


新聞記事を素直に読めば、典礼聖省からの書簡中にある1-7番の基準こそが「1969年5月29日付の同封指針」だと思うでしょう。ただし、注意深い読者であれば、典礼聖省からの書簡に掲載されているものはあくまでも「基準」であって、「指針」ではないのでは、との疑問を抱くと思われます。

実際の指針『メモリアーレ・ドミニ』

1969年5月29日に公布された実際の指針『メモリアーレ・ドミニ (Memoriale Domini)』と各国司教団宛てに送付された典礼聖省からの書簡は、聖座Webサイトの使徒座公報(AAS; ACTA APOSTOLICAE SEDIS)PDFを公開しているページにて閲覧できます。

 ※ PDFを見るまではないけれど、指針(ラテン語)と書簡(フランス語)の原文を確認したいという方は、こちらのページ「Memoriale Domini」をご覧ください。

   日本語、英語他の各国語翻訳文へのリンクは、Webサイト「護教の盾」の「手による聖体拝領 各国は『メモリアーレ・ドミニ』の文言を踏み倒して進んだ Part 1」にてまとめられています。なお、日本語の公式訳はありません。

指針『メモリアーレ・ドミニ』の趣旨は、「聖体授与の既存の方法(舌の上に授ける方法)は変更しない。しかしながら、手に聖体を授ける方式が既に普及している地域においては、本件に関するどのような決定にあたっても、司教協議会の秘密投票による3分の2以上の賛成票が必要である。その結論の詳細説明文書をもとに、聖座にて検討する」というものです。

同指針を読んでいる方はお分かりのように、『メモリアーレ・ドミニ』の内容はカトリック新聞の記事中に全く掲載されていません。リード文には「指針が届いた。その全文は次のとおり」と書いてありますが、全文が掲載されているのは典礼聖省の書簡本文のみです。これは完全なる虚偽の報道です。

更に付け加えると、典礼聖省書簡の基準4番にて述べられている「古代教会の伝統が伝えている方針」や「司祭または助祭が拝領者の手に聖体をおくという伝統的な方法」との内容は『メモリアーレ・ドミニ』では述べられていません。「古代教会において手による聖体拝領が実施されていた(1)ものの、御聖体を舌の上に置く慣習が確立された」こと、「助祭がミサ聖祭の欠席者に、聖変化されたパンとぶどう酒を届けていた」ことは書かれていますが…。

「手引き」を作成した典礼司教委員会は、意図的に取り違えたのではないか

実際に「聖体を手に授けるための手引き」を作成した典礼司教委員会の担当者は不明ですが、担当者が委員長の長江司教や委員会秘書の土屋神父でなかったとしても、完成版の公布前に、両者のいずれかは確認されるでしょう。お二人はラテン語に通じている方々です(2)。『メモリアーレ・ドミニ』の「INSTRUCTIO(指針)」や典礼聖省からのフランス語書簡文中の「normes(基準)」は基本語句につき、取り違えるはずはないと言えるでしょう。

Memoriale Domini
『メモリアーレ・ドミニ』
手による聖体拝領
典礼聖省からの書簡

当時の証言がないので推測でしかありませんが、典礼司教委員会は意図的な「取り違え」をしたのだと思われます。


 注釈

(1) 「古代教会」といっても、聖母マリア様含む初代教会においては舌による拝領だと個人的には思っております(参照)。いつ頃からか、誤った方式が入り込んだのでしょう。

(2) 第二バチカン公会議前に、長江司教は日本語訳のミサ典書(『主日祝日用ミサ典礼書』エンデルレ書店、 1957年)、土屋神父は羅和併記の祈祷書(『LIBER PRECUM 祈祷書』ドン・ボスコ社、1956年、版権 上智大学神学部)を翻訳・編集しています。
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