聖職者によって「日本には跪きの文化はない」と主張されることがあります。実際、私もこのような発言を直に伺ったことがあります。
確かに、いわゆる教会が言うところの「跪き」をする文化は日本にありません。
しかしながら、日本には昔から正座や跪坐(つま先を立てた正座)などの姿勢があるので、「膝を折ってかがむ」文化はあると言えます。
日本における「膝を折る『跪き』の起源」は、国内各地で出土した埴輪により、少なくとも古墳時代までさかのぼることが出来るようです。
塚廻り古墳群第4号古墳(群馬県太田市) 出土品
太田市Webサイトによると、塚廻り古墳が造られた時期は6世紀前半と推定されているらしいです。
茨城県鹿島郡 出土品
「両手を前方について正しく座して如何にも御辞儀をして頭を上げた時の様に思われる」(『日本考古図録大成 第7輯』より)
伝 茨城県桜川市 出土品
矢田野エジリ古墳出土埴輪(石川県小松市) 出土品
小松市Webサイトによると、矢田野エジリ古墳も6世紀前半に造られたとのことです。
「この座る男子像は、[儀式の]登場人物のなかでも特別な役割を担っていたことが想像されます。儀式の始まりを宣言したり、儀式の中で、亡き首長の業績を唱え、また、新首長に忠誠を誓うような大切な言葉をかしこまって奏上していたのかもしれません。」
様々なサイトにて、「跪き」に関するラッツィンガー枢機卿様(当時)のご発言が『典礼の精神』から引用されています。本記事にても、以下の通り引用させていただきます。
ひざまずくことは現代文化にとり、異質なものでありうるかもしれません。その文化というのは、つまり、信仰から遠ざかってしまい、その方の前ではひざまずくことが正しく、それどころか、本来的に必要な態度であるような方を知らないのです。信じることを学んだ者は、ひざまずくことも学びます。そして、もはやひざまずくことを知らないような信仰、あるいは典礼は、その核心において病んでいるのでしょう。ひざまずくことが失われたところでは、再び学ばなければなりません。
『典礼の精神』(p.210)
日本には古代から続く「跪き」の文化があるのだから、教会における「跪き」については、たとえ未信者であっても「適応」(=学習)しやすいと言えるでしょう。
今後「日本には跪きの文化はない」という主張に対しては、「日本には古代から膝をかがめる姿勢がありますが・・・」と(柔和な態度で)反論したいと思います。
出典(画像含む)
●塚廻り古墳群第4号古墳の埴輪
群馬県太田市Webサイト 「塚廻り古墳群第4号古墳」紹介ページ
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/otabunka47.html
太田市教育委員会 文化財課『塚廻り古墳群』
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/files/tukamawari.pdf
●茨城県鹿島郡 出土品
帝室博物館編『埴輪集成図鑑 第2』、1944年、p.7
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1264672
文化庁Webサイト「国指定文化財等データベース」 https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
Webサイト「文化遺産オンライン」 http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/157798
柴田常恵, 内藤政光 編『日本考古図録大成 第7輯』、日東書院、1930年、p.9
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193182
●伝 茨城県桜川市 出土品
茨城県立歴史館「はにわの世界 -茨城の形象埴輪とその周辺 -」
www.rekishikan-ibk.jp/wp-content/…/10/a12e823fc99ce89d70c8734eba94c25f.pdf
●矢田野エジリ古墳出土埴輪(石川県小松市) 出土品
石川県小松市Webサイト 「重要文化財 矢田野エジリ古墳出土埴輪」紹介ページ
http://www.city.komatsu.lg.jp/10512.htm
●ヨセフ・ラッツィンガー著、濱田了訳『典礼の精神』サン パウロ、2004年、p.210