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メイソン教会として建て替えられた山口サビエル記念聖堂 ⑤ 【鐘塔、屋外】

イエズス様と天使

今回の記事⑤では、鐘塔の鐘、屋外のシンボル、関連事物について書き述べています。山口サビエル記念聖堂の「シンボル」やその他怪しい造形物については、今回で一旦終了です。


双塔の右側「鐘塔」の9つの鐘について

鐘のデザイン

前回記事④でも掲載した通り、聖堂公式YouTube動画の字幕では双塔右側の「鐘塔」について、このように紹介しています。

[字幕] 9:23-
右側の鐘塔にある9つの鐘には、市民や子供たちなどに向けた、天からのメッセージが刻まれており、平和と幸せを告げ知らせています。

画像出典: 聖堂公式サイト(英語)

山口サビエル記念聖堂の鐘

9つの鐘(出典 Capanni社公式サイト

大小9つの鐘の表面には、日本国民や山口市民などへのメッセージとして、新約聖書の該当聖句がラテン語で彫り込まれています(1)。しかしながら、鐘全体のデザインとしては、ハートや星やその他よく分からない形状など、聖なるイメージが喚起されない図形が目立つものとなっています。(単に星の図形があるだけで、星=「天球」、すなわち右側の鐘塔=ヤキン説を裏付ける根拠だと一概に言えないことは重々承知しております。)

山口サビエル記念聖堂における鐘の祝別式
山口サビエル記念聖堂の鐘

柄のようなものがついた形状が見える
(出典 1997年10月19日付けカトリック新聞; 鐘の祝別式での試し打ち

当時の新聞報道(カトリック新聞、山口新聞)によると、1997年10月12日に、聖堂前の広場で「9つの鐘」の祝別式が行われ、聖水と献香とで三末篤實司教様が鐘を祝別されたようです。

鐘の数と製作者たち

鐘の祝別式には、鐘の設計・製作を担当したという鋳物師エンリコ・カパンニ(Enrico Capanni)氏も来訪しており、「子どもから大人まで非常に多くの市民が鐘を祝福してくれ、感銘を受けた」と語ったとも報道されています(2)

新聞記事には記されていませんでしたが、カパンニ氏とともに、新聖堂の鐘オブジェの製作に携わったと思われる人物に鋳物師のロモロ・ヴァニチェッリ(Romolo Vanicelli)氏がいます。同氏もCapanni社員だったようです。彼の功績・作品を紹介するイタリアのサイトにおいて、鐘オブジェの模型を試作している様子や、新聖堂の写真が掲載されています(リンク)。

山口サビエル記念聖堂の鐘模型

模型の鐘が6つしかない版。旧聖堂の鐘塔の鐘は6つだった(3)からなのか、それとも当初は鐘の数でオブジェの形状「666」を暗に示す予定だったからなのか?(もっとも、この模型段階での鐘の数に、特に意味はないのかもしれませんが)

ヴァニチェッリ氏と鐘オブジェの模型

この段階での模型の鐘は8つ

なお、1993年9月に新聖堂設計者のルッジェリ神父とレオニ氏が来日して記者会見をしていますが(記事③参照)、1994年6月の新聖堂の基本設計発表時にも両人は来日しています。このときの山口新聞の一面記事での報道によると、当時予定していた鐘の数も8つでした(4)

鐘の数が8つから9つへ変更された理由については不明です。採用する「数のシンボル」についての方針が単に変わったなど、考えられる理由はあるものの、何とも分かりません。
※ 8は反キリストの象徴でもある数字(黙示録17・11; 8人目の王)、9はフリーメイソンが好む数字です。

鐘の数については些末なことかもしれませんが、気になったので記しておきます。

新聖堂イメージ模型とルッジェリ神父とルイジ・レオニ

1994年6月1日、新聖堂の基本設計が発表される。この後、地元山口市民からは「復元されるものと思って募金したのに裏切られた」「新興宗教のイメージでサビエルの雰囲気がない」「斬新で結構」等と、賛否両論の意見が出たとのこと。
(出典 画像: 1994年6月2日付け山口新聞、市民の声: 同年6月9日付け山口新聞より)

《関連事物》鐘鋳造メーカーCapanni社の過去作品

新聖堂の鐘オブジェ製作に携わったCapanni社の両氏は、同じく90年代に「メジュゴリエの平和の鐘 (campana della Pace di Medjugorje)」も手がけています。この鐘は、ボスニア・ヘルツェゴビナのVionica村(メジュゴリエの隣村)での建設を計画されていた「ピエトレルチーナの聖ピオ病院」付きの教会向けであり、1994年に寄贈されたようです(5)

カパンニ氏(左)とヴァニチェッリ氏(右)と
「メジュゴリエの平和の鐘」 (出典 Vanicelli氏の功績等紹介サイト

「平和の鐘」には、ルルドやファティマの聖母とともに、
メジュゴリエの「婦人」の装飾が施されている。(出典 Capanni社の公式サイト

余談ですが、イタリア北東部のエミリア=ロマーニャ州、レッジョ・エミリア県にCapanni社が所在しており、同州モデナ県で「メジュゴリエの平和の鐘」が司教により祝別されたようです(※ 1991年に旧ユーゴスラビア司教団がメジュゴリエの聖母出現を否定済み)。同州は、「ピエトレルチーナの聖ピオ病院」建設に協力していたとのこと(6)。インターネットで調べてみたものの、病院建設が実現したかどうかについては分かりませんでした。

イタリアはモデナでの「メジュゴリエの平和の鐘」の祝別式
(出典 Vanicelli氏の功績等紹介サイト

(奥に見える白い物体は、東京の聖アンセルモ目黒教会の祭壇奥にある、あの造形物に似ているとふと思いました。「聖霊」を表現しているという金色の造形物です。)


Capanni社は、ルッジェリ神父デザインによる鐘を山口サビエル記念聖堂向け以外にも鋳造しています(ローマの聖ベルナルド教会向けなど)。また、同社は教会向けの鐘だけではなく、様々なジャンルのものを手がけているようで、 過去の鋳造品にはロータリークラブやライオンズクラブ向けの小さな鐘もあります。

これらのクラブは、フリーメイソンの下部組織だと言われています。

ロータリークラブとライオンズクラブ向けの小さな鐘 (出典 Rotary, Lions

フリーメイソンとロータリークラブとライオンズクラブ
フリーメイソンとライオンズクラブとロータリークラブ

参考画像出典

そして、Capanni社の過去の鋳造品には、エンリコ・マンフリーニ(Enrico Manfrini)による彫像装飾の鐘もあります。マンフリーニは、1999年にローマの「城外の聖パウロ大聖堂 (San Paolo fuori le Mura di Roma)」の扉を手がけるなど、聖座で重用されていた彫刻家です。かのロッジP2メンバー、ミーノ・ペコレッリが自身の雑誌『OP』で公表したリストによると、マンフリーニはフリーメイソンです(7)

「パウロ6世教皇聖下の鐘 (La campana di S.S.Paolo VI)
1969年10月完成、エンリコ・マンフリーニ作(出典 Capanni社公式サイト

Capanni社がフリーメイソン含む、種々の怪しい団体や人物から注文を受けたり、共に仕事をした実績があるだけで、「Capanni社も怪しい企業である」という短絡的な結論にはなりません。しかしながら、一部取り引き相手の筋が宜しくないことは、どうにも気になります。(上記ネットワーク内で、ひいきにできる業者情報が共有されていたのでしょうか?よく分かりませんが・・・。)

旗用ポールもシンボルの可能性あり

聖堂敷地入口地点にある「三本のポール」

新聖堂前の庭と駐車場との境目に、三本のポールが立っています。1998年4月29日に執り行われた献堂式の写真を見ると、中央のポールに日本国旗らしき旗が掲揚されています。

山口サビエル記念聖堂の献堂式

1998年4月29日の献堂式写真
(出典 1998年5月17日付けカトリック新聞 「サビエル記念聖堂 輝いて建つ」;
献堂式ミサは6人の司教と約100人の司祭による共同司式

教会敷地内に旗用のポールが立っている例は、海外の教会画像を検索してみると、あるにはあるようです。日本にも旗用ポールが一本立っている教会があります。

画像出典:Googleマップ投稿写真

大阪梅田教会と大阪大司教区再宣教150年の旗

サクラ ファミリア(カトリック大阪梅田教会)
掲揚されている旗は「大阪大司教区再宣教150年」のもの。
※ 過去の同教会の写真には、ポールがないものもあります。

とはいえ、他教会の敷地内に旗用ポールが立っている例があるにしても、山口サビエル記念聖堂には数多くのシンボルが埋め込められていることから、「三本のポール」もシンボルである可能性を考えてみます。


記事③にて記した「第二位階のトレーシング・ボード」のシンボル適用について思うのは、「その手前の『第一位階のトレーシング・ボード』のシンボルも、新聖堂に使われているのだろうか?」ということです。第一位階のトレーシング・ボードを見てみます。

第一位階「入門徒弟」のトレーシング・ボード
三本の柱は「叡智えいち (wisdom)」「力 (strength)」「美 (beauty)」を象徴している

大きく目立つ柱が三本あります。奇妙にも、旗用ポールの数と一致しています。

三本の柱が描かれている「第一位階」から「第二位階」のソロモンの神殿へ。すなわち、教会敷地の入口地点に立っている三本のポールの側を通り、聖堂へ辿り着くという動線込みのシンボル化なのでしょうか・・・。


記事①~⑤のまとめ

これまで5回にわたって、数多くのシンボルについて書き述べていきました。三角形、一つ目、冒涜的な磔刑像にはじまり、太陽・星・月・蛇のステンドグラス、666の象徴、「トレーシング・ボード」との一致、その他怪しい造形物等々と、凄まじい分量と悪意でした。これほどまでに彼らのシンボルの「量・悪意の質・露骨さ」がそろっている教会は、日本に二つとないと思われます。(これ以上の教会があったら、それこそ大問題です。)

以上、5回シリーズ記事で示したあからさまなシンボルに着目するに、旧聖堂の火災消失後に建て替えられた新聖堂は「メイソン教会」と呼んで差し支えないと結論して、シンボルについてのシリーズを一旦終了いたします。


この次には複数回の別テーマ記事を挟んで、「いかにして新聖堂が建て替えられたか」という「過程」に焦点を当てて書き記す予定です。

ルルドの聖母

新聖堂を押しつけられたと思われる山口カトリック教会の信徒の方々、および異常な日本の教会のためにお祈り下さい。

童貞マリア、御身はその御宿おんやどりにおいてつゆほどのけがれもなかりき。 聖霊によりて宿し、かつ生み給いし御子イエズスの御父に、われらのため祈り給わんことを。
In Conceptióne tua, Virgo María, immaculáta fuísti; ora pro nobis Patrem, cuius Fílium Iesum de Spíritu Sancto concéptum peperísti.

新聖堂の「シンボル」などについて、情報を提供してくださった方に感謝申し上げます。

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参考文献・サイト

(1) 「サビエル聖堂に待望の鐘」『カトリック新聞』、1997年10月19日、p.1
(2) 「サビエル記念聖堂 美しい音色響き渡る「新しい鐘」500人が祝福」『山口新聞』、1997年10月14日、p.20
(3) 同上
(4) 「サビエル聖堂 基本設計を公表 ステンドグラスを多用」『山口新聞』、1994年6月2日、p.1
(5) http://www.vanicellifundendis.it/medjgorje__bosnia.htm
  https://www.capanni.it/singmedjugorie.htm
(6) http://www.vanicellifundendis.it/medjgorje__bosnia.htm
  http://www.vanicellifundendis.it/medjugorje_recezini_stapa.htm

「平和の鐘」を祝別した司教名の情報はなし。なお、2008年のモデナの司教区報には、メジュゴリエの祈りの会に関する案内も出ています(2008年10月26日付け p.22)。


(7) サイト『護教の盾』、「ペコレッリのリスト」より
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/diary2011/d-2011-05-13a.html
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/diary2011/d-2011-05-03a.html#pecorelli

その他、外国の複数のサイトにもリストが掲載されています。リストにはブニーニや、イエズス会の大物・ベア枢機卿などの名前が掲載されています。