司教協議会へ嘆願書を提出しました(7/17 着)

洗礼志願者への「手による聖体拝領」の強要や洗礼拒絶をも生み出す、愛なき教会風土

19世紀のステンドグラス「聖体を受けている聖母」。
19世紀のステンドグラス
「御聖体を受けている聖母」転載元

舌での聖体拝領に伴う被害に関するアンケート(2019年7月3日現在、計24名分の被害者回答受領)において、或る被害者の方から以下のコメントを頂戴しました。

90年頃に受洗された信者の方々の話ですが、大阪教区と広島教区の修道会系教会で初聖体は手で受けることを条件に、洗礼を許可されたという事がありました。(その後は口での拝領は可)

また、求道者1名からも以下のコメントを頂戴しました。御聖体の「欠片」に関する懸念にも同意致します。

私は洗礼を受ける時は、初聖体で跪いて御聖体拝領したいと伝えましたが、怒って拒否されました。理由を尋ねてもきちんとした回答もありませんでした。まだ求道者のままです。跪きのこと以外に、手の聖体拝領もやめてほしいです。欠片が床に落ちているのではと気になります。

※ このような酷い対応をした司教区名は伏せますが、上記の被害者コメントに挙がっている大阪、広島、そして被害数の多い東京ではありません。
他の現・求道者におかれましても、もし同様の被害の経験があればアンケートにご回答いただけましたらと存じます。(識別用に、最後のコメント欄に求道者だとご記載いただけましたら幸いです。)

「日本への適応」「(どんな内容であっても)司教団方針に従順であれ」、その他何らかのイデオロギーを過剰に重視するあまり、洗礼の秘跡を授けるときに「手による聖体拝領」を条件として課す、更には求道者による「跪いて拝領したい」との希望を怒って拒絶するまでに至っているとは、あまりにも酷い状況です・・・。(ちなみに、受洗直前の当サイト管理人も、舌による聖体拝領を神父様に希望したところ(跪きたいとは述べなかった)、「司教団の方針に従って手で拝領してください。会衆の動作の『一致』が大事です」等々と強く主張されました。色々あって結局は舌で拝領できましたが、しばらくして跪いて拝領するようにしたら叱責を受けました。)

人によっては「一部の司祭が暴走しているだけ」と思うかもしれません。しかしながら、上述の不可解なイデオロギーを過剰重視する教会風土が、悪の所業を生んでいるのではないでしょうか。悪い実を結んだ木の土壌が、今の教会風土です。

また、人によっては「司教様、神父様の方針に楯突いているのだから拒絶されても仕方ない」との思いを抱いているかもしれません。そのような人でも、一般社会のいじめ問題に対しては「いじめはいじめられる側にも責任がある」とはまさか思っていないでしょう(カトリック信徒であるならば)。しかしながら、指針『あがないの秘跡』で「舌で受ける・跪いてでの聖体拝領は禁じられない」ことを再確認しており、日本カトリック司教協議会による『日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針』 (1) (2014年11月30日発行)においてさえも保護されている舌での聖体拝領(跪いて、立ってでの両姿勢とも)を、聖職者の方針に従順ではないとの理由で「いじめ」られても「被害者側にも責任がある」と思うのでしょうか・・・。被害者によっては叱責どころか、司祭から人格否定レベルの罵りを受けているというのに。

今の日本の教会風土は、神(=御聖体)を愛さない、隣人も愛さない「愛なき教会」を生み出しています。

イエズス様と子羊

世間では「いじめの傍観者は、いじめを容認している」との主張もなされています。「聖体拝領に関して、今の教会はおかしい」と声を上げる司教様、神父様が一人でも多く出てこられることを祈ります。

 アンケートお願い記事
【アンケート】舌での聖体拝領に伴う被害について

 アンケート結果報告記事
【アンケート結果報告】被害者数 24名(回答人数計 68名)| 舌での聖体拝領に伴う被害

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天主の聖母、我らのために祈り給え。

注意
念のために書いておくと、跪いての舌での聖体拝領でも、とても丁寧に、優しく授けて下さる神父様もいらっしゃいます。

(1) 『日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針』 (2014年11月30日発行) においても、「手による拝領を原則とする」とは書かれておりません。「拝領者自身が、聖別されたパンを手で受けるか口で受けるかを選ぶことができます」と明記されています。

とはいえ、 同指針発行後にも「手による聖体拝領が司教団方針である」と主張する神父様がおられることから、平信徒の知らない場所、例えば「司祭の集い」のような場でそのような言説がなされているのでしょうか? それとも、指針上には明記されていない文意を汲み取って「司教団は手による聖体拝領を望んでいる」と理解して行動すべきなのでしょうか。(もちろん、そうすべきではない。)