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手による聖体拝領、臨時の奉仕者を日本に導入していった過程の不可解な点など

手による聖体拝領の違法導入

前回記事において、司祭の聖なる手についての文章を転載しました。

「司祭の手」(テオドール・ゲッペルト神父様; 1963年カトリック新聞より)

「司祭の手が持つことができる〔、〕また与えることのできる最大の賜物は何といっても、私たちの主御自身の御体と御血であります。」(上記文章より抜粋)

かつては、司祭の聖なる手により、拝領者の舌の上に御聖体を授けるという正しい方式が常態でした。それにもかかわらず、日本の教会が新方式を導入していった過程において、3つの不可解な点があるのです。

新方式導入過程における不可解な3点

  1. 1969年5月29日に公布された指針『メモリアーレ・ドミニ』(公式日本語訳なし)に反して、当時日本に普及していなかった「手に聖体を授ける方式」を導入したこと。
  2. ・・・導入決定決議は1970年5月26日の司教協議会による。

  3. 1.の議題と併せて 、1970年5月26日に 「ミサ中など必要な場合に『信徒が聖体を授ける』許可を宣教聖省へ申請する」と司教協議会が決議したこと。
  4. ・・・臨時の聖体奉仕者(聖体授与の臨時の奉仕者)については、1973年の典礼聖省指針『インメンセ・カリターティス』にて初めて認可されたのではないか?時期と聖座管轄省に関して不可解である。

  5. 「手に聖体を授ける方式」の導入決議より前から、東京・荻窪教会(典礼改革のモデル教会)にて、手による聖体拝領が実施されていたと示す文書記録(※)が残っていること。
  6. ・・・記録によれば「司教様から特別の許可をいただいてはじめてやったのだと思います」とのことだが、一司教が許可できる事柄ではない。
    ※ イエズス会の土屋吉正神父(当時、典礼司教委員会秘書)や荻窪教会信徒等参加の座談会録(1972年10月8日実施座談会; 『カトリック荻窪教会創立50周年記念誌』p.152)。「実施」時期が『メモリアーレ・ドミニ』の公布前か後かは、不明瞭な文書である。

そして、「御聖体への冒涜」「非聖化による教会の荒廃化」、すなわち教会破壊のために手による聖体拝領を画策・実行した「彼ら」についてですが、以下の写真を見るに、1962年5月時点では既に日本へ入り込んでいたと言えます。

聖心のミサでのフリーメイソンシンボルのモニュメント

1962年5月6日に献げられた荘厳ミサ(「聖心のミサ」)
日本カトリック再建100年祭のフィナーレとして横浜市のセント・ジョセフ・カレッジの校庭で行われた式典。
駐日ローマ教皇大使、日本司教団全司教等が参加した。

祭壇上の屋根型モニュメントは、明らかにフリーメイソンのシンボルマークです。

定規とコンパスのフリーメイソンシンボル
フリーメイソン

平信徒が閲覧できる情報だけでも、「おかしい」と結論できる出来事を列挙しました。これら反キリストの所業について、日本の教会において公式的な検証と、正しい方式への「見直し」がなされることを願っております。

次回記事より、上記2.、3.と1962年の「聖心のミサ」に関する個別記事を投稿する予定です。 (後ほど、個別記事を本ページにリンクしていきます。)

天使と聖母マリア様の御絵
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