2017年11月15日に、フランシスコ教皇様は以下のコメントをされていたとのことです。
Pope: Pre-Mass Time Is Meant for Silent Prayer, Not Chitchat (Nov. 15, 2017) – The National Catholic Register紙
私たちはミサ聖祭へ行くとき、5分前に到着して前の人たちとおしゃべりを始めるかもしれません。(しかしながら、)御ミサの前はおしゃべりの時間ではありません。
それは、対話の準備をするための沈黙の時間です。イエズスとの出会いを準備するために心を落ち着かせるための時間です。沈黙は非常に重要です。
それは、対話の準備をするための沈黙の時間です。イエズスとの出会いを準備するために心を落ち着かせるための時間です。沈黙は非常に重要です。
また、教皇様は「ミサはショーではなく、主と出会う場所である」という前の週のメッセージを再び思い起こさせ、「(この主との出会いにおいて)沈黙は私たちの心の準備をさせ、私たちに付き添います」とも仰ったとのことです。
日本における教皇ミサが間近に迫りつつあるなかで、当日の教皇ミサ会場と日本全国の小教区に、このような教皇様の過去のご発言が周知されて欲しいと強く願います。
ミサ聖祭は、十字架上の犠牲を記念して、パンとぶどう酒との外観のもとに在すイエズス・キリストの聖体と聖血の犠牲を、聖父に献げるいけにえの祭儀です。(参考: 『公教要理』第五十八課 ミサ聖祭)
それ故、イエズス様の犠牲を思い、御ミサの後の時間も、(信徒会館へ移動せずに)御聖堂の座席に居残っておしゃべりをする時間ではないとの拙意も付け加えさせていただきたく存じます。少なくとも、東京大司教区にはそのような小教区が(少なからず?)あるので・・・。
我は天主たり人たる主を礼拝し、讃美し、かつ御身に感謝し奉る。