前回記事で書いた1月19日の英語ミサでの件、同じミサにあずかっていた方から翌20日にコメント欄にて情報を提供いただきました。貴重な内容ですので、簡単な記事として記録を残しておきます。
情報の内容は、ミサ終了後に神父様ご本人に確認したところ、ご体調が悪いわけではなかったこと、これまで他の複数の神父様も、英語ミサにて御聖体を授与しなかったこと等々です。
実は昨年のアンケートでこの問題について書いたのは私です。
その問題が起きて、数回同じようなことがあり、(昨日の司祭とは別の方たちです)英語ミサに出るのをしばらくやめて、日本語ミサに出ていました。しばらくたって、状況が直ったようなので、また出るようになりました。
前回の記事でも言及しましたが、2019年5月末から7月にかけて実施した「舌での聖体拝領に伴う被害について」のアンケートに、司祭が御聖体を授与しない事例についてのコメントをお寄せいただいておりました。教会名は伏せられていたものの、東京教区での事例は「もしや聖イグナチオ教会のことかもしれない」と考えていました。思った通りでした。
過去にも複数の司祭が御聖体を授与しなかったということは、聖イグナチオ教会英語ミサに関する何らかの上部方針、もしくは複数のイエズス会士間での共通方針があるのでしょうか?
前回の記事を書いたあと、2017-2018年頃に聖イグナチオ教会での日本語ミサで起きた出来事を思い出しました。そのときの司式司祭(同教会の現主任司祭)が、手に持っていたチボリウムのなかの御聖体を全て授与し終わり、横にいた平信徒の聖体奉仕者に対して「後は配っておいて」旨の指示を出されました。そして、司祭の前にはまだ信徒が並んでいたにもかかわらず、祭壇に戻って祭具を片付けはじめられたのでした…。
「司祭こそが御聖体を授与するのだ」という責務は、何故なおざりにされているのでしょうか。これはイエズス会士だけの問題ではありません。聖体奉仕者は今なお日本各地で任命され続け、今日も御聖体を配布しています。
主イエズス、主の司祭を増やし給え。