教皇様の新型コロナワクチン接種に関する前回記事への補足です。
2020年12月21日にバチカンの教理省(CDF)は、新コロワクチン使用の道徳性についての文書『Note on the morality of using some anti-Covid-19 vaccines』を発行しています。日本の各種メディアでも「中絶胎児由来の細胞株を使ったワクチン接種を容認」などと報じられた文書です。
その「問題」文書のなかでも、「実践理性は、ワクチン接種は原則として、道義的義務ではなく、したがって、任意でなければならないことを明らかにしている」(practical reason makes evident that vaccination is not, as a rule, a moral obligation and that, therefore, it must be voluntary.)と述べられています。
当該文書には、教皇様が2020年12月17日に検討し、発行をご指示したことも明記されています。
この接種任意についての箇所に気づいたのは、イタリアのカトリックニュースサイトLa Nuova Bussola Quotidianaに掲載された2021年1月12日付けの記事「Il Papa e i vaccini(教皇とワクチン)」のおかげです。
接種任意についての指摘以外に、個人的に気になった箇所を以下に紹介いたします。例によって機械翻訳の力を借りています。
「〔インタビュー発言者と教理省文書承認者との〕どちらの教皇フランシスコに耳を傾けるべきでしょうか? 純粋に教導権的観点から言えば、重要なのは教理省 (CDF) の文書だけです。教皇がインタビューで仰ったことは、結局のところは彼の見解であり、それを好む好まない、同意不同意があるかもしれませんが、それらは意見であり、それ自体として妥当です。しかし実際には、CDFの文書を誰も覚えていない一方で、カトリック教会のトップが全ての人に抗Covidの予防接種を道徳的に義務づけていると考えていることを、今や全世界の人々が知っています。」
「現実を直視しようとする人にとっては、教皇様が今日仰ることと、明日仰ることは反対だという事実は依然として存在し続けています。教皇様を真面目に受け止めようとする人は誰でも、混乱し、苛立ちを感じずにはいられません。また、これは決して孤立したエピソードではないからです。」
(※ 使徒的勧告『アモリス・レティティア(愛のよろこび)』に関するゴタゴタのこと)
「教皇様は『医者が問題ないと言っているのに、なぜ接種しないのでしょうか』と仰っていました。なるほど。しかし、物事はそれほど平和的ではありません。ワクチン接種の必要性を説き伏せる医師や科学者が多くいますが、困惑している医師や科学者も多くいます。まだ答えの出ていない重要な問題点があります。ワクチンの起源に関する道徳の問題は別として、認可されたワクチンの有効性や安全性について、まだよくわかっていないのは確かです。今ワクチンを接種する人は、試験段階であることを認識しなければなりません。約束されたベネフィットに直面してリスクは許容範囲を超えていると判断する人もいますが、正反対のことを信じたり、正当な理由で疑念を抱いたりしている人もいます。特定の医師を信用し、他の医師を否定することが倫理的だと誰が判断するのでしょうか? ワクチンは約束の地とは言えません。信仰の問題ではありません。今回の疾病からでさえも、私たちを解放するのはワクチンではありません。
気候変動の問題でも同じような混乱が生じています。人間が引き起こした地球温暖化、という科学的な仮説が回勅『ラウダート・シ』にて教導権に変換されています。」
※ 文中の強調部分は当サイト管理人による。
当該記事の執筆者は、邦訳本『環境活動家のウソ八百』も出版されているリッカルド・カショーリ氏です。2019年5月に拙記事でも紹介した、サラ枢機卿様への「御聖体の袋詰め案」等に関する独占インタビュー記事の執筆者です。
教皇様のワクチンに関するご発言について批判するカトリックメディアの記事をあまり見かけないので、今般記事の一部を翻訳してみました。
あわれみの御母、われらのために祈り給え。