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星を仰ぎ、マリアの御名を呼べ Respice Stellam Voca Mariam(聖ベルナルドの説教より)

以前某教会より頂いたトラピスチヌ天使園のカード
Respice Stellam Voca Mariam !

手元にあるマリア会編『念禱集 祝日の部』(1955年発行)の「9月12日 聖母マリアのいとも聖なるみ名」のページ(1)を読んでみました。当時の9月12日の聖務日課には、クレルヴォーの聖ベルナルドによる有名な説教「マリア(という御名)は『海の星』という意味に解釈され…」(2)に続く箇所が採用されていたと知りました。朝課 Matutinumの朗読です(3)

Lectio 6
In perículis, in angústiis, in rebus dúbiis Maríam cógita, Maríam ínvoca. Non recédat ab ore, non recédat a corde; et, ut ímpetres ejus oratiónis suffrágium, non déseras conversatiónis exémplum. Ipsam sequens, non dévias; ipsam rogans, non despéras; ipsam cógitans, non erras; ipsa tenénte, non córruis; ipsa protegénte, non métuis; ipsa duce, non fatigáris; ipsa propítia, pérvenis: et sic in temetípso experíris quam mérito dictum sit: Et nomen Vírginis María. (…)

Reading 6 (English)

In danger, in difficulty, or in doubt, think on Mary, call on Mary. Let her not be away from thy mouth or from thine heart, and that thou mayest not lack the succour of her prayers, turn not aside from the example of her conversation. If thou follow her, thou wilt never go astray. If thou pray to her, thou wilt never have need to despair. If thou keep her in mind, thou wilt never wander. If she hold thee, thou wilt never fall. If she lead thee, thou wilt never be weary. If she help thee, thou wilt reach home safe at the last and so thou wilt prove in thyself how meetly it is said And the virgin’s name was Mary. (…)

『念禱集 祝日の部』に掲載されていた、この朗読箇所を含む聖ベルナルドの説教の訳文修正版を紹介いたします(修正:訳文の一人称複数代名詞を原文通りの二人称複数代名詞へ、旧字体漢字の変換など)。趣がある言葉にて訳出されています。なお、上述の聖務日課の箇所は「危機にひんする時…」から最後までです。

ああこの安全な陸地を離れて、大雨と嵐のまにまに翻弄されている人たちよ、逆巻く怒濤どとうに呑みこまれないで、船を進めようと思うならば、この輝く星から目を外らしてはならない。誘惑の嵐が吹き募り、苦悩の暗礁に難破の危険を感ずる時は、仰いでこの星を眺め、手を伸べて、マリアにすが。傲慢、野心、誹謗、嫉妬の荒れ狂う波にもまれて櫓櫂ろかいに力を失う時は、仰いでこの星を眺め、マリアに掌を合わせよ。怒りと貪欲と肉欲との狂瀾きょうらんが、歯をむいて、か弱い霊魂の小船に襲いかかるならば、空高く、マリアの星を仰げ。山ほどに積もる罪に心おののく時、霊魂の汚れに恥じ入り、審判の恐れに震えて、悲哀の大海おおうみと絶望の淵瀨ふちせに引きこまれようとする時は、いち早くマリアに想いを走らせよ。


危険にひんする時、苦悩に沈む時は、マリアを想い、マリアに祈れ。汝らの唇からも、心からも、この御名みなを離し遠ざけてはならない。汝らが聖母のお祈りの力に縋る時は、そのご生涯を模範と仰ぐことを忘れてはならない。汝らが聖母のみ後に従う限り、汝らは、迷う恐れはなく、汝らが聖母に祈る限り、汝らは失望することはない。汝らが聖母を考える限り、汝らは正しい道を外れる憂いはないであろう。聖母が汝らを支えられる限り、汝らは倒れる心配はなく、聖母が汝らを保護される限り、汝らは何も恐れるべきものはないであろう。聖母が汝らの道連れとなられる限り、汝らは疲れを覚えず、聖母が汝らを助けられる限り、汝らは目的地に達することができるであろう。こう云う心懸けをもちつづけたならば、汝らは自らの経験によって、「その童貞女、名をマリアと云えり」と記されたことが、どれほど、適切で、正しい御名であったかを悟り知るであろう。

上掲の青色蛍光ペンの部分は意訳であり、原文だとどちらもrespice stellam, voca Mariam星を仰ぎ、マリアの御名みなを呼べです。

「何か困難なことがあると、すぐマリアの名を呼び求めて助けていただきなさい」(故池田敏雄神父様著『聖ベルナルド』『教会の聖人たち』より)という聖ベルナルドの説教通り、現在の惨憺たる教会状勢のなか、助けを祈り求めたく存じます。

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聖マリア われらのために祈り給え。


(1) 中山力太郎、三島幸智共訳『念禱集 祝日の部』中央出版社、1955年、pp.252-253
冒頭の「はしがき」によれば、フランス語のオリジナルはマリア会の主席総参事官ハンリ・ルボン師編著とのこと。

(2) 聖ベルナルドの死後800周年記念の年である1953年に発布されたピオ十二世教皇様の回勅 DOCTOR MELLIFLUUS(蜜の流るる博士)でも、この説教が紹介されています。同回勅の注釈(50) によると、出典はHom. II super « Missus est », 17; MIGNE, PL, CLXXXIII, 70-B, C, D, 71-A.とのことです。

(3) 過去から現在の種々の聖務日課を掲載しているWebサイト「The Divinum Officium Project」におけるS. Nominis Beatæ Mariæ Virginisのページより。
なお、インターネット上の資料を見る限りでは、ヨハネ二十三世教皇様の自発教令 RUBRICARUM INSTRUCTUM(1960年)の改変により、聖ベルナルドの説教朗読の箇所がなくなっているようです。